家族食堂 / 徐々に謎が解けてきました
コロナ禍で休止していた家族食堂の再開をどうするかが問題でした。
再会したい気持ちはありつつも、もうひとつの食事提供の活動もありますので、高齢スタッフには少々きつくなってきていたのです。
そんな折、引き継いでくださる方が登場・・・
ばーさんスタッフたちは大喜び。
そして引継ぎを兼ねて、新旧合同スタッフによる1回目の家族食堂が実施されました。
さすがスタッフが若返っただけあって雰囲気はガラリと変わって、ギターやウクレレ演奏あり歌ありと賑やかな雰囲気になり1回目にしてはかなり盛り上がりました。
安心して2回目以降の運営はお任せすることとし、ばーさんスタッフたちは無事に卒業です。
これからは、もう一つの宅配型食事提供活動に集中して取り組みます。
✨✨✨
この家族食堂を引き継いで下さった方は、湘南から移住された40代のご家族です。
雑誌”天然生活”に登場されるような暮らしをされていて、
何故にこんな山奥へ?
何故に湘南を離れた?
どうやって生計を立てているの?
現金収入はあるの?
と謎だらけの方でしたが、
その謎が少しづつ解けてきました。
その一端がわかる彼の文章がありますのでご紹介します
僕は、全く知らない土地だった〇〇に越してきました。
ここには小さな社会があり、共に生きていくためのルールやマナーのようなものがあります。
それぞれ少しづつ考え方は違っても、集落のためとなれば当たり前のように力を合わせ助け合います。それがおそらく100年前も500年前も、ずっと変わらず、無名の人たちによってしっかりと受け継がれてきた、ここでの暮らし方です。
大切なのは無名の人たちの日々の営みだと思います。
僕らの幸せは、政治家や経済の流れによって決まるようなものではなく、ヒーローが現れて僕らを幸せにしてくれるわけでもありません。
世界をよりよくしてくれるのは抜きんでた能力を持つ一握りの人間ではなく、一人一人の、ほんの些細な思いやりや親切、愛情、そしてほんの些細な夢やロマンなのではないでしょうか。
・・・
自分の命をいかにして自分の属するコミュニティに役立てることができるのか。
常に自分の何を与えることができるのかを考えながら生きていきたい。
今、世の中の基本となっているギブアンドテイクではなくて、ひたすらみんなが与え続けるのを喜びとする社会は可能だろうと僕は今思っている。
移住先を何処にするかと日本のあちこちを探したことや、全体主義が苦手なこと、自宅で音楽教室を開いていることなども知ることができました。
それしても日本のあちこちを探した結果、この地に落ち着くことになったとは、この地に住む者としては嬉しいけれど、厳しい現実に打ちのめされることがないようにと願わずにはいられない。
まだ暫くは彼から目が離せそうもありません。