勝手な思い込みを反省
総合病院の中の訪問看護の部署に居て、日々在宅療養の方々の家を訪問している同居嫁さん。
訪問先とか病名とかの詳しい内容については守秘義務がありますので、家族と言えど他言することはできませんし、こちらからも聴くことはありません。
ただ「担当していた方が亡くなった」と言うことが時々あります。
時々というより割と頻繁に・・・
仕事柄それは想定内のことですから、比較的淡々と(もともとクールな嫁さんですし)しているように私にはみえました。
そこで、愚かな私は「人の死に対して慣れてしまうことってあるのかなぁ」って軽く聞いてしまいました。
「そんなことは絶対にないよ」と間髪を入れずの返答。
「関わった方には思い入れがあるし、いつもいつも悲しい!」と。
幾人もの最期に関わっても感情が鈍化しないこと、ご本人やご家族の思いを受けて深い悲しみにくれることを知り、何だかとても温かい気持ちになりました。
その夜、東京の病院で働いている長女から、親しくしている同僚のお母さんが亡くなられてショックを受けていると、元気のない声での電話が。
長女の職場は救命センターですので、生死の狭間を多く見ているはず。
死が常に身近なところにある日常は、死生観が麻痺するのではないかと勝手に思い込んでいましたので、ひどく悲しんでいる様子に驚きました。
私の軽薄で愚かな思い込みを反省しつつ、
嫁さんも長女も、どうかこのまま健全な感情と思いやりを持ち続けてほしいと願った日でした。